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恋と自尊心

公開日:2021年12月29日

個人

恋と自尊心

僕は恐ろしいほど自尊心が低い。心が弱い。 14歳の初めて彼女ができたあの日から、僕は「彼女」という自分を愛してくれる存在に対して依存するようになった。 自分に一切価値を見出せなかったから、生きてても仕方ないと思っていた。 せめて愛してくれる人がいれば生きててもいいのではないかというそれだけだった。 そして25歳になるまで僕は自分の価値をその時々の恋人というコントロール不可能な他人に求め続け、恋人のためになんだってした。 ここまで恋人がいなかった期間は1年だけだった。 その1年間、自分が生きていていいという価値を失った僕は、過呼吸になったり涙が止まらなくなっていろんなところに出掛けられなくなったりした。

僕は大人にもなれなかった。 みんなが何かを我慢したり責任を持ったりしていることが僕には出来ない。 僕は仕事を責任だと思ってやっていない。 楽しいし、これしか社会に出る手段がなかったし、誰かのためになればいいなと思ってはいるが、誰かのためにやっている気持ちは一切ない。

僕は我慢が出来ない。 自分が辛かったら好きな子が忙しいと言っていても電話をかけまくったりLINEしまくったりしてしまう。 僕はおよそ人が持ち合わせている倫理観や責任感、他者に対する配慮などの一切が欠けている。

僕は僕についてなら沢山知っている。 他人に目を向けてこなかった分、自分とばかり会話してきたからである。 そうやって出来た異常に自尊心の低い自己中の化け物が僕である。

創作が好きなのは正解がないから。 何にも出来ない自分も正解だと言えるから。 恋人を好きになるのは恋人が好きと言ってくれるから。 自分が嫌いなのは自分が嫌いな自分に酔っているから。 こんなことを書くのは許されたいから。

僕にはおそらく生涯の伴侶と言うのは出来ないと思う。 僕が好きになりすぎて、全部ダメにしてしまうからだ。 「花が好きな者は花を摘み、花を愛しているものは水をあげて育てるだろう」 これはブッダの名言と言われているが実は出典不明らしい。でもいい言葉だと思う。 僕は人を簡単に好きになるが、人を愛せない。 いつも自分の辛さが勝ってしまう。相手の辛さをわかってあげられない。 好きな人が荷物を持てと言えば僕は喜んで持つ。 手が空いていなかったら僕は今持っている荷物を捨ててでも持つ。 それは社会に生きる上でやってはいけない子供じみた行為なのに、僕はやるし、相手にも同じものを求めてしまう。

僕は自分が今まで人と向き合う努力をしなかったり、心の弱さと向き合えなかったり、自己憐憫に浸れる不幸な人生を好んで選んできた選択と積み重ねのツケを払わないといけないんだと思う。 というか僕の人生はいつもツケを払ってばかりだ。 穴が空いているから。 足りない分を何か作って埋めなきゃならない。 一時的にマイナスからゼロになることはあってもプラスになることはない。 埋めたそばから流れていってしまう。 ずっとこうやって生きていかなきゃいけないんだ。 僕には詩や音楽やプログラムを作る以外なんにもない。 それですら自分のためにしか作ってないんだ。 社会と、他人と折り合いをつけるために、僕には何かを作るしかないんだ。 こんな文章を最後まで読んだ君ももしかしたらそうなのかな