生活
昨年の10月ごろから続いていた僕の人生を狂わす出来事たちはクリスマスイブで全て終わり、僕はそれからただひたすら何かを作った。 例えば曲や、技術記事や、仕事でのプログラミングや、料理や、このブログもその一つである。 特に曲にはかなり時間を費やした。
作曲
僕が精神を病んで年末どうにもならなくなって作ったデモが11曲あるなかで、一番その時の気持ちにあっていた「月夜見」という曲を選んで、年末年始をかけて編曲し、レコーディングし、ミックスした。 実はまだミックス中で、気に入らないパートがあるとレコーディングし直したり、編曲し直したりしている。 この曲はそれだけ完璧にやりたいと思ったのだ。 昔はプロじゃないからとどこかで諦めていた節があった。 作曲や編曲は勉強すればどうにでもなった。だが音作りはそうは行かない。 スタジオのようにしっかり低音の出る大きなスピーカーがあるわけでもないし、レコーディング環境だって5畳の実家の僕の部屋である。 ソフトの機材はそれなりに揃えたが、ハードの機材が買えるわけがない。 ノウハウも経験も今でこそそういう動画が溢れているが、昔は本を買って音がわからない中で学ぶしかなかった。 それでも、これは自分の中で大切な曲だと自覚していたから。 今までで一番素直に書けた曲だと思ったから。 手を抜くわけにはいかないのだ。 手を抜く理由がなくなったというのもある。 僕は初めて僕のためだけに音楽を作ったのだ。 誰のためではない。自分のためだけに。 言葉に出来ない様々を作品へと昇華させていく。 まるで弔いのように。
映画
そして何かを作る合間に僕は映画を浴びるように観た。
- チックチックブーン
以前このブログで少し書いたが、29歳の普通の男としての苦悩と芸術家としての苦悩が描かれている。 - 街の上で
心のリハビリになった。本当にいい映画。 - 浅草キッド
柳楽優弥さんの演技がすごい。 - 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う
好きなので2回目。原題はDemolition。メタファー好きにおすすめ。 - レイニーデイ・イン・ニューヨーク
ウディ・アレン監督の作品で、僕はこの作品が本当に気に入った。 - ジゴロ・イン・ニューヨーク
ウディ・アレンが出ているだけの作品。そんなにおすすめはしない。 - グリーンブック
最強のふたりみたいな感じ。トニーのような人がみんなの人生に居てくれたらと思う。 - ミッドナイトインパリ
ウディ・アレン監督の作品。ちょっと不思議な話 - ノルウェイの森
原作を読もう。 - プラダを来た悪魔
友達におすすめされたので観た。悪魔の方にずっと共感してたのは僕が悪魔だからか。 - 博士と彼女のセオリー
ホーキング博士…。境界はないんだ。人生があるなら、希望もあるよ。 - 呪術廻戦0
僕好みの設定とストーリーだった。声優さんの演技とアニメーションが最高。 - 天使のくれた時間
選ばなかった選択の話。僕もこんな風に幸せになりたかった。原題はThe Family Man - マイレージマイライフ
意外と難しいテーマだった。幸せの定義、人生のゴール、自分の居場所。
この中だとレイニーデイインニューヨークと街の上でがおすすめ。 でも人によって好き嫌いが別れると思う。 僕は今、映画に美しいストーリーや問題提起を求めていて、観た後に何か残る映画を求めている。 もちろんド派手なアクションなども好きだけど、今はそういう気分じゃない。 YouTubeを観るのも辞めて本当に毎日のようにずっと映画ばかり観ている。 物語は僕を現実から逃避させてくれる。 今度もっとちゃんと映画については書きたい。
精神
お気付きかもしれないが、僕はいわゆるメンヘラであり、自尊心が低く、内面が子供である。
傷を見せることで同情を引くような幼稚さがある。
このブログがそれである。
ノルウェイの森で永沢さんが「自分に同情するのは下劣な人間のすることだ」というが、まさに僕は下劣である。
実はメンタル面で言うと、いい曲が出来たことや、仕事や創作、映画にのめりこんだおかげで良くなってきた。
しかし僕は一つ疑問に思っていた。
「なんでこんなに生きにくいんだ?」
普通の人は失恋をこんなに引き摺ったりするのか?
普通の人は傷心を乗り越えるためにこんなに何か手順が必要なのか?
普通の人はこんなに好きな人に依存してしまうのか?
普通の人はこんなに孤独で涙を流す夜があるのか?
普通の人は良い作品を観て一週間動けなくなったりするのか?
普通の人はこんなに周りの人の言動に影響を受けるものなのか?
普通の人は何かにすごく集中した後、信じられないくらい理由もなく気分が落ち込んだりするのか?
普通の人はこんな意味のわからないブログを書くのか?
普通の人は疲れるとわかっているのに、英会話カフェに行くのか?
普通の人はこんなに考えすぎるのか?
普通の人という定義が曖昧であるというのは認めよう。
でもとにかく疑問に思って、僕は昔ネットで見た気質について検索した。
「HSS型HSP」である。
先に断っておくが僕は心理学科を出ているので、こういった気質が病気ではないこと、
そして論文になっていないようなエビデンスのない言説が世に溢れていることをよく知っている。
そして僕はそういう「気質」「人格」というカテゴライズをとても嫌悪していた。
人間をカテゴライズするのは人間を理解するためではなく、理解できないものを理解した気になって安心するためだと思っているからだ。
それから、そういったものを言い訳に使う人がいるのもまた事実である。
だが当事者にとってはある種の救いになる。
自分の生きづらさに名前がつけば、少し自分を理解する手助けになる。
他者に理解してもらう手助けになる。
何が言いたいのかというと、僕は多分この「繊細なのに刺激好き」という神様の失敗作、人間のバグとでも言うべき気質「HSS型HSP」なのだと思う。
例えば、昔から考え込んでしまうタイプで、友達から言われた一言で学校を1日休んでしまったことがある。
それなのにバンドでギターボーカルをやったりしていた。
良い映画を見れば一週間落ち込んで風呂場で泣いたりする。
音楽が好きなのに盛り上がるようなライブを観に行くのが実はあんまり好きじゃない。
のに、一度も行ったことがないからクラブに行きたいと思っている。
初対面の人とすぐ仲良くなれるが、それに疲れている自分がいる。
それなのに僕は英会話カフェに通っている。
何かを始めるのが好きでいろんなものに手を出す癖に、ずっと失敗が怖い。
そして失敗をずっと引き摺ってしまう。
他人から怒られること、非難されることが何よりも怖い。
でも表向きはそんなに悪くないはず。
何かを過度に集中して頑張り終わると、動悸がして心が急に辛くなる。
人とうまくやれないからとエンジニアになったのに勉強会に行きまくったりしていた。
初めて過呼吸を起こしたのも実は全く自分の感情とは関係ない、親の喧嘩が原因だった。
そしてそんな繊細な側面を僕はこの文章でしか表せない。
わかるだろう。ツイッターやこのブログがそうだよ。
しかも、そこですら他人に絡まれると一気に他所行きの自分が出てくる。
HSS型HSPについて調べてたらこの気質の人は書くことで感情を整理して落ち着けるらしい。
つまりこのブログは作られるべくして作られたってわけだ。
僕はずっと自傷行為みたいなものを感じていた。
何をするにも自分を遠回しに傷つけるような側面がある気がしていた。
それも多分この気質で起こした行動の結果がそうなるようなことが多かったと言うだけだろう。
僕はこれがわかったからといって、何かを言うつもりも行動を変えるつもりもない。
そういうのが一番ダサくて嫌いだし、僕にはできない。
でも少しだけ、救われる自分がいたことも確かだった。
なんでこんなに生きづらいのに、なんの病気でもないんだろうと思っていた自分がいたことも白状しよう。
いっそ病気だったらと思うこともあった。
結果病気ではなかったが、自分の生きにくさに名前がつくというのはやはり少し気持ちが楽になる。
もし、もしも、万が一、僕に次恋人が出来るようなことがあれば、僕はこういう側面がある人間なんだって説明もできる。
まぁその前にこのブログを読ませる方が早そうだけどね。
そして生活は続く
このように年末年始走りすぎたので実は少し今ガス欠気味だ。 でも僕はまだ、もう少し走っていたい。 落ち込む時間が毎日少しずつ減っていくのを感じる。 やりたいことが増えていく。 パソコンの前に座る時間が日に日に長くなる。 食べ物を食べる量が少しずつ増えてくる。 今年の仕事が始まる。 引っ越しを計画し始める。 日が沈むまでの時間が延びる。 きっと少しずつ雪が溶けて。 ゆっくり暖かくなって。 春が来る。 君のいない春が来る。
蛇足
春といえばSori Sawadaのこれを聴いて欲しい 望春