生きていくということ
谷川俊太郎の詩に「生きる」というものがある。 全ての節が良いので、あえてここで中途半端に引用しない。 ちゃんと全文読んで欲しい。 そしてその詩をポエトリーリーディング、もしくはスポークンワーズとして曲にした不可思議wonderboyというラッパーがいた。 彼は売れる寸前で交通事故で亡くなってしまった。 僕が彼を知ったのは亡くなった後だったが、彼の紡ぐ言葉はとても美しく、僕は大好きになった。 もう新曲が聴けることはないと思うととても悲しい。 Pelliculeという曲が一番有名なのでこれをとりあえず聴くと良い。
そして、SuiseiNoboAzは歌っている。
生きていくことはとても辛いことだ 泥のように眠り朝を迎えるだけでやっとだ 墓標は連なり、花を手向け続ける 心を埋めるため言葉を重ねる
これは3020という曲で、僕ら(僕らというのは大学の軽音サークルの同期で、世界に4人だけいる僕の友達)はこのバンドが大好きだ。 こないだもライブに行った。 「3020年までずっと友達でいよう」という歌詞が僕らの間で流行った。 本当に良いので聴いて欲しい。 このブログもある意味では心を埋めるために言葉を重ねているに過ぎない。
僕にとって生きていくということ
僕にとって生きていくということはなんだろうかと考える。 正直もう消えて無くなりたいとずっと思っている。 僕が生きていくにはこの世界は辛いことが多すぎる。 体は元より、この一年で僕の心は完全に壊れた。 心因性の過呼吸も再発して、抑うつ状態になることも多くなった。 嫌なことばかり考えてしまう。 トラウマがフラッシュバックする。 そして誰かが救ってくれるはずだという望みも潰えた。 誰も救ってくれない。 消えられればどんなに楽か。 音楽もなかなか書けない。 この文章も正直納得行っていない。 僕はもっといいものが作れるはずなのに。 不幸に酔い知れていた自分がいたことに気づく。 あぁ僕は不幸で哀れなやつですという札を下げて歩く快感が忘れられない。 そういう状態が一番楽だった。世界を恨み続ければ良い。シンプルな原動力だった。 下手に幸せになってしまった。 僕はなんの才能もないカフカみたいになるんだろうか。 こんなことが、こんなことが書きたいんじゃない。 本当はもっと綺麗な美しいものが書きたい。 ボートから見る海の水面がサファイアみたいで綺麗だったこと。 誰かのために流される涙。 2人で越えようとした夜。 書いた詩。 家族の温かさ。 こんな、こんなものじゃない。 もっと綺麗なものが僕は書きたいのに。 凡庸で足りない。 言葉を探している。