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治療(2月)

公開日:2022年09月23日

個人

治療(2月)

注釈: これは2022年2月24日に書かれたもので、あまりにも辛い文章だったからこれはさすがに出せないと思って公開せずに保存してあったものです。 今はある程度元気になったので、心配しないでください。

どう考えても感情の起伏がおかしいので、病院に行った。 そもそも悲しいのか楽しいのか苦しいのか気持ちいいのかわからない。 常にカフェインが入っているせいだと思っていたが、カフェインをとっていなくても変わらなかった。 心臓がバクバク鳴っている。 医者は双極性障害の可能性があるといった。 僕は否定した。双極性障害はもっとひどいはずだ。 こんなに急速に躁転と鬱を切り替えたりしないと思う。 躁状態でも僕は寝る。 と思ったがそういえば、睡眠を3時間だけとって活動し続けてる時があったなと今思った。 結局双極性障害かもしくはそのスペクトラム、その上で環境要因が重なっているのではないかということだった。 文章もうまく組み立てられなくなってきた。 難しい。 仕事の集中力も落ちた。 今月の技術記事をまだ書けていない。 本をたくさん買って来て、全部少しずつ読むみたいなことをしている。 確定申告もまだ途中だ。 料理が出来なくなってしまった。 買い物も行かないとと思うが行けない。 でもまぁ多分病気ではない。 僕の人生でこういうことはよくある。 わからない。 普通の人生が欲しい。 例えばこんな文章を書かないで済むような。 ディズニーが楽しいとか。 ララランドが良かったとか。 地元のいつめん最高とか。 結婚したとか。 子供を持ったとか。 仕事ダルい辞めたいとか。 女の子のいるお店に行くとか。 普通の女の子に恋をするとか。 お酒が飲めるとか。 痛み止めが飲めるとか。 辛いことがあっても次の日には元気とか。 そういう、普通が欲しい。 でもこれも自己矛盾だ。 僕は自分が凡庸であることを受け止めたい。 言い訳ではなく、僕は病気ではないとちゃんと思いたい。 与えられたものがそれほど不幸ではないことを認めたい。 が、時々生きるのが辛いことがある。 涙が出てくる。誰かのせいにしたくなる。 何も出来ない。 言語化が難しい。 以前ほどの文章が書けない。 多分躁と鬱の狭間なのかもしれない。 やらなきゃと思いながら涙が出てくる。 ロジックを考えていたら、息が苦しくなって涙が出てきた。 よくわからない涙だった。 自分が誰で一体どうしたら正解かよくわからなくなってくる。 与えられた仕事をする。 システムの一部になる。 そうしている間は楽になれた。 しかし今はそれを妨害されている。 休むべきだという思いと、休んだらもう戻って来れないかもしれないという不安がある。 ずるずると仕事や詩や作曲や生活を続けているがどれも今立ち行かなくなって来始めている。 治療が必要だ。 本を読む。 あの子にまた連絡をしてしまった。 わからない。 僕はあの子のためならなんだってするのに。 好きだって言ってくれてたのに。 難しい。 なぜ誰かが僕を好きと言って、僕がそれに愛で応えると、その誰かは離れていってしまうんだろうか。 わからない。 僕の使っているプロトコルが他の人と違っているのかもしれない。 愛を伝えるプロトコルが。 治療が必要だ。 でも医者から薬を断ってきた。 僕は病気じゃないからだ。 スペクトラム。 ちょっと人より感情の振れ幅がおかしいだけ。 いつもなら文を書けば落ち着くはずなのに。 今はもう自分が何を書いているのかよくわからなくなってきた。 薬では解決しない気がする。 でもいつか治ることだけはわかる。 病気ではないから。 時間が解決してくれるはずだ。 多分春を越えれば。 楽になれるはずだ。