人生について
悲しいという感情は脳の扁桃体が司っている。
僕はそいつを何度取ってやりたいと思ったかわからない。
毎日が「消えてしまいたい」と「生きてるなら価値を生み出さなきゃ」の間で揺れ動いている。
今日だって本当は好きなコンテンツについて書くつもりだった。
いや、途中まで書いた。
呪術廻戦の映画がよかったとか、ヨルシカの曲がまた最近頭から離れないとか。
でもダメだった。
すぐに「そんなことより辛い」という気持ちが溢れてきてしまう。
こんなブログに意味があるのか。
こんな文章に意味はあるのか。
この人生に意味があるのか。
一応断っておくと僕は一切死ぬ気はない。
というより死ぬ勇気がない。
例えばGoogleで「楽に死ぬ方法」と検索するくらいの余裕と希死念慮はある。
だが自殺願望のような大それたものではない。
ただ、生きることをやめたい。
夜は辛くて最近はよく泣いている。
毎日寝る時に、これで眠ったらこのまま目が覚めなければいいのにと思う。
朝はカフェインを大量に取って軽い躁状態まで持っていく。
お腹はあまり空かない。
カフェインが残っているので、飲めないお酒を頑張って飲んで睡眠薬代わりにする。
村上春樹の鼠三部作を読みながら寝る。
再び問おう。
こんな生活になんの意味があるのか。
僕はもう死を待つだけの、言わばリビングデッドなんだ。
別にこれまでだって生きたいと思って生きてたわけじゃない。
ただ人生の中で一番辛い日々は終わったと思ってた。
僕はこのまま幸せになって、努力した分より少し少ないけど何となくそれらが報われるような、そういう日々が続いていくんだって思ってた。
でも今はあの時より辛い。
出口が見えない。
ゴールがない。
もしまた希望が見つかっても、また同じことが起こるってわかってしまった。
生きている限り、喪失は避けられない。
特に僕は、そういう星のもとに生まれてきてしまっている。
そのくせ人よりすごく打たれ弱い。
でも僕より辛い人たちが大勢いる。
僕は何の病気でもないことが自分でわかる。心理学科でちゃんと勉強したからね。
ただ、少し悲観的で悲しみの閾値が低くて、耐えられないことが多いだけ。
なのに僕は自分が世界一悲しくてかわいそうで辛いみたいな振る舞いをする。
それで、僕はどんどん自分が嫌いになる。
「いつも自分ことばかりじゃないか。」
「こんな悲しみくらい何だっていうんだ。」
「ちょっと心を許した女の子たちに何回か振られただけじゃないか。」
「運命の人じゃなかったんだよ、きっと。他にも女の子なんているよ。」
「そうやって自分の痛みばかり考えてさ。」
「もうLINEなんかするなよ、迷惑だろう。」
「Twitterやブログに暗い投稿なんかして、心配して欲しいのかよ。」
「そんな自己中なお前のことなんて誰も愛さないよ。」
生きようとして、「何かしなくちゃだめだ。 何か作らなきゃ。価値を出さなきゃ。」と思う。
でも少し気を抜くと「生きててももう仕方ない。消えてしまいたい」と思う。
もう毎日これの繰り返しだ。
最近はこの波が一日に2、3回くる。
おかしくなりそうだけど、おかしくならないからやっぱり僕は病気じゃない。
僕は月夜見という歌を書いた。
あれが全てだ。
愛する人を失って、孤独に夜を彷徨うだけ。
それだけの歌なんだ。
あれには実は何の救いもない。
「君」がしてくれたことが書いてある。
でも「君」をただ失って、終わりだ。
この夜を一緒に歩いてくれる、心に空いた穴を埋めてくれる、息をする理由をくれる、君がそうだったんだ。
君がそうだったんだよ。