26歳
26歳になった。 25歳の年は酷い年で、まぁこのブログが出来たのもそのおかげなので、どのように酷い年だったかはこのブログの過去の記事を見て欲しい。 しかし、最後の最後に素敵な出会いがあり、僕の人生は25歳で終わらずに済んだ。 まぁその出会いがなかったら27で死のうと決めていたので、25では死なない予定ではあったが。 幸せな話など聞きたくないだろうと思うのでここではその話には触れない。 人生というのは何が起こるかわからないとはよく言ったもので、辛いことばかりで生きている意味なんてないと思っていたら急に良いことが起きたりする。 だからって辛いことがなくなるわけでも、受けた傷が癒えるわけでもない。 だからここだけの話、僕はまだ消えられるなら消えてしまいたいと本気で思ってるんだ。 他の不幸な人たちに比べたら本当に幸せな人生だったと思う。 家族仲は最悪ってほどでもないし、よく愛されて育ち、友達も少ないが何人かいて、彼女だって何人もいた。 僕は打たれ弱すぎたんだと思う。 これは多分他の人にはわからないかもしれない。 ただの弱音だ、みんな同じくらい辛いんだ、なんだまた不幸自慢かと吐き捨てられたらそれまでだ。 でも僕は本当にもうこれ以上辛いことに耐えられない。 この辛いことをもう受けなくて良いなら人生を辞めても構わない。 正直、幸せなのにメンタルの調子はあまり良くない。 依然として僕は毎日、幸せが終わってしまう恐怖や、満たされて腑抜けになることへの恐れ、他人と比べた自分という存在の価値のなさと戦っている。 命を燃やせ!と僕はツイッターでたまにつぶやく。 誰の真似でもないこのセリフを僕は気に入っている。 こうつぶやくとなんとなくスイッチが入るのと、命を燃やしているような気になることで早く消えてしまえる気がするからだ。 本当は燃え尽きて早く消えてしまいたい。 でもそれを彼女や友達には言えない。 こうやってブログに書くので精一杯なんだ。 まだ僕は何も為してない。 今消えたら僕はただのゴミクズのまま、虐げられたまま、辛い目にあったまま、意味もなく死ぬだけだ。 だからまだ死ねない。
27歳
27までに何かを為して本気で死のうと思っていた。 「人生27で死ねるならロックンロールは僕を救った」とヨルシカが歌っている。 27という年齢はクラブ27から来ている。 僕ごときが27で死んでもクラブ27には入れないが、僕がそれで満足できれば良い。 実際に死ねはしなくても、27で死ぬつもりで何かを残してやろうと思ってたんだ。 それをある程度幸せになったからって破棄するのは何か違うと思う。 もう今は僕が死んだら悲しむ人がいるので、27で死ねなくなってしまったが、何かを成し遂げたいという気持ちは変わらない。 何者かになりたい。 そういう軸が昔は僕の中に、内側にあるはずだった。 最近は少し他人と自分を比べてしまうことが多くなってしまっている。 いくら稼いでるとか、フォロワーが何人いるとか、そんなことは本当にどうでも良かったはずだったのにね。 そうじゃなくて自分が納得する曲を書けるとか、詩を書けるとか、コードを書けるとか、設計をするとか、技術記事を書くとか。 そういう自分が納得できるものを僕は目指していたはずで、だからこそずっと自分だけが自分を許せなかった。 誰にも曲を聴かれなくても良い。 今もそれは変わらない。 でも何か他人と比べて秀でている、定量的ななにかを求めている自分がいる。 誰かと比べてどうみたいな物差しが自分の中に出来てしまっている。 まぁ僕が現実を生き始めてしまったのかもしれない。 そういう意味では良いことなのかもしれない。 「生きるって物入りね」、と村上春樹の小説に出てくる女の子が言っていた気がする。 そうなんだよ、ほんと参るよな。 僕にはやっぱり村上春樹の小説が生きるのに必要らしい。 価値観のチューニングが必要なのかもしれない。 僕はこの歳になってもまだ考えて変化しようとしているらしい。 笑えるよな。
化粧
君が化粧をしているときに
「君もいつかいなくなってしまうのかな」
と僕が言うと
「消えてしまいそうなのはあなたの方よ」
と君が返した
彼女の美しさが形作られていく様子を見られるのは彼氏である特権だ
君は自分のために化粧をしているとよく言っていた
僕は化粧をしていなくても君の顔が好きだ
でも君が美しくあろうとしている様の方がよっぽど愛しい
美しさが
君の優しさが
僕がどれだけ君を思っているかが
目に見えないから明日も話そう
君が化粧をしているときに